冥想

善悪の裁きを越えて

こんにちは、龍全です。

先日、久しぶりにelm実践者向けの2時間のグループ冥想会をしましてね。

ご質問のひとつをご紹介します。

冥想ができていないんじゃないか、
集中できてないんじゃないかと感じることがあるんです

あなたはそう思うときはありませんか。

数千年も前から、冥想する上での課題としてこうしたことや、眠りふけること、疑いの気持ちに駆られること、等など出てくるんですよ。人は何年経っても(何千年ですが)変わらない部分もありますよね。

こうしたことを感じるのも当然ですし、とても自然なこと。

当日はこんなことをお話していました。

「精神的な成長をお互いがしていくなかで、最初の障害、私たちが向き合っていく、手放していくのは【善悪の裁き】なんです。

【善悪の裁き】

要は、できているできていない、いい悪い、そうやって自分を裁いてしまう心 自体を解き放っていったときに、あなたにとって、とても大切な精神的な成長がおきてくるし、元々求めていたものも手に入ってくるということなんです。

手に入ったときに「私」はいないんですけど。「私」というものに対する執着もなくなっていますので。

最初はだいたいこの【善悪の裁き】を人はなかなか越えられなくて、「冥想ができていないんじゃないか」「集中できてないんじゃないか」、「雑念」という名のさまざまな思念というのが浮いてくる、これは「よくない」ことである、と裁きが始まります。

で、elm冥想で、マントラを唱えて冥想するってこと自体が、天気のいい日に洗濯物を干してるという感じなんですが、別に「早く乾かさなきゃ」と思わなくたって、いい天気のなかで自然に乾いていきますよね。

あとは陽の光にまかせていく わけです。

同じようにマントラを唱えて冥想するだけで、陽の光にあてられた洗濯物のように、自然に変容が進んでいく。

必要なことが起きていきます。

マントラ冥想のなかでも「マントラを言い続ける」という冥想もたくさんあるのですけど、取り組んでくださっている(elm冥想)のは、最初に1回、内に響かせるだけじゃないですか。あとはもうただ座って、起きるままに任せるっていう、そういう冥想ですよね。

そうするとね。自然といろんなこと考えちゃうのですよ。いっぱいでてくる。

でもね、いっぱい出した方がいいんですよ。陽の光に当てるように、そして乾いていくように、その「雑念」と言われるもの、感覚として出てくるもの、それはカルマ(業/繰り返される負のパターン)として必ず出てきますので。それを出るままに出していく。

昔から「冥想中に浮かぶものには囚われるな」って言われていましてね。

「これは良いこと、あるいは、悪いこと」だと解釈されることが浮かんでも、その「考え」に囚われない稽古をしていきます。

そして、その【善悪の裁き】というものを越えていって、自分に対する責める気持ちを越えていったときに、あなたの在り方が変わっていくっていうことなんですよね」

こうしたプロセスをスムーズに促進していくカギは、「セルフコンパッション慈悲の心 を養うことにあります。そのことは、諸先生に何度も教えていただいていたことなのですが、今になってその意味が腑に落ちてきました(^_^;)

決して「自分を甘やかす」という意味ではなくて、自分にも優しく、認め、励ましながら、応援しながら、足りないながらも成長していく、その日々を重ねていくことが、NLPで探求する【違いをつくる違い】になってくるように思うのです。

【善悪の裁きを越える】についてシェアできてよかったです。

またお便りしますね。

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