川というものはない、それは絶え間ない流れである
ー ニコラス・レシャー
こんにちは、龍全です。
書籍やレポート類のスキャニングを
続けていることもあって
本棚も随分スリムになってきました。
本屋さんには近づかないように
しているのですが、
新宿 紀伊國屋書店に用事がありまして
「お!こんな本が出てる」と
案の定、両手に本の入った袋を抱えて
帰ることになりました(笑)
矢山利彦さんの『空海の人間学(一)』も
新装版になっていまして
まず、普通に生きていたら
空海の『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』を
読むこともないと思うのですが
これ、面白いのですよ。
人間の意識の段階を著した『十住心論』というのが
ありましてね。
そのエグゼクティブサマリーが『秘蔵宝鑰』。
『般若心経秘鍵』という空海独自の
密教的な般若心経の読み方も載っていますので、
もし、ご興味があればぜひ。
新装版 空海の人間学 一 矢山利彦 株式会社クエスト 2017 |
さて、本題
前回の記事で、ティク・ナット・ハン師のことを書きました。
(Googleでマインドフルネスについて語ったときの映像の一部(1分ほど)も観られます)
南フランスまで足を伸ばした大きな理由でもあるのですが
以前、NLPの師匠 ジョン・グリンダー博士に
分析的なモデリングではなく、
リアルなNLPモデリングを
一週間近くみっちりと教わっていたときに
これまで成果を挙げていたツールが
大きくバージョンアップされたのを感じまして、
あらためて
いま【誰の、何を】モデリングしようか、と
ひとり考えましてね。
あーもない、こーでもないと
しばらく試行錯誤をしていました。
ふとした瞬間に
「大変だろうけど、できたら嬉しい」
そう思えたのが、ティク・ナット・ハン師の
『歩く瞑想』をモデリングすることでした。
で、南フランス。
NLPのノーナッシングステートに入って
ティク・ナット・ハン師とともに
プラムの丘を歩いていたのですが
まあ、それまでと大違い(苦笑)
好きで「歩く瞑想」はそれまでもしていたのですが
私の場合は、ただゆっくりと歩いていただけで
ティク・ナット・ハン師のそれは、まさに瞑想。
もちろん、私が全てをわかったわけではないのですが
ごく一部でも体験することができたように思います。
先日、その『歩く瞑想』を何人かでしていたときのこと。
通常の歩き方から『歩く瞑想』に入っていくと
何人もの人が、
「満たされて、もう歩みたくない」
「ここで十二分に満ちた感覚なので歩みを進めたくない」
「ここで止まっていたい」
という感覚になっていったのです。
ご体験くださった方々で、
私も同感!という方もいらっしゃるかも知れませんね。
この「満たされたら、動きたくなくなる」感じ
こういう方ほど「まだ、足りない!」と
それまで駆り立てられて、
あるいは自分を駆り立てて、
動き続けてきたということなのかも知れません。
もちろん、「満たされているのに、動け!」と
急き立てているわけでなく、
満たされているその感覚に十分に浸ってから
見回してみてほしいのです。
感じてみてほしいのです。
流れ を
あなたは満たされて
実は最初から満たされているということへの
気づきの深まりとともに
静けさが増していくことでしょう。
そして、あなたの周囲は、
ひとときもとどまることなく
流れつづけていることに気づかれることでしょう。
何かの場面に執着するのであれば、
それは「過去」あるいは「未来」。
そのこだわりを手放すほどに
「満たされたら、動きたくなくなる」も
ひとつの過程だと感じ、満たされた感覚での
いま、ここでの創造、喜びに気づかれることでしょう。
NLPも瞑想も手法はそれぞれですが
それまでのパターンに気づき、
中断し、創造をはじめる
ことでは共通と思っていますし、
そのためにしてくださっている(あるいは始める)
のではないかと思います。
「そもそも満たされてませんし」という方々も
多くいらっしゃると思います。
どのようにそこに至るのか、気づきを深めるのか、
マインドフルネスNLP®を通じて
体得を進めていってください。
かけがえのない、とっても豊かな道になりますよ。