「相手の鼻を折るのが、私の仕事なんです」
何年も前のことですが
そう言って爽やかな笑顔をみせる
エグゼクティブコーチングの先輩の話を
聞きながら、そういうコーチングもあるのか!
と感心し、不思議に思ったことを
印象深く覚えています。
特に、相手がハリウッドでかつて活躍した
俳優や経営の世界で名を馳せた経営者で
あるほど
以前は(高待遇や反響の大きさなど)だった
のに、今は〜だと落ち込んで、行動がどんどん
ズレて行ったり、顕著に行動が止まること
があるのだと。
そこまで「世界レベル」でなくても
優秀な誰かや何かと比較して、つい
嘆いちゃうことってありませんか?
それまでは、効果的な質問や承認、フィード
バック等によって高い業績や”自信”を作って
いくのが”コーチング”なのかと思っていたら
適切な「プライド」にマネジメントしていく
ことの大切さを感じたというのでしょうか。
敬愛するNLPコーチ(英国でトップ企業の
ビジネスコーチをされている)シャンタルさん
の言葉も思い出します。
業績を伸ばすことが至上命題である
ビジネス・コンサルティングを
長年行ってきて、私は気づいたのです。本当に問題となっているのは、
セールス方法やマーケティング・スキル、
売上ではない。人々が真に求めているのは、
マインドがクリアで心身が健やかな状態
(ウェルビーイングの状態)であると。そうなったとき、
人々は勝手にハイパフォーマンスを
ーシャンタル・バーンズ(NLPコーチ)
発揮するのです。
確かに、誰か優れた人や過去との「比較」
があるとウェルビーイングどころか
メンタルに大きく影響しますよね。
仏教でも「比較」がどれだけ苦しみを
生むのかを学んでいきます。
そして、自己を矮小化するのでもなく、
慢心するのでもなく、無条件の愛と智慧を
発揮して生きていくことを学ぶのですが
瞑想も同じで
その人の考える「いい瞑想」であったとして
そうでなかったとしても
その体験に囚われる必要はなくて
一回一回の瞑想がかつてない新鮮な体験なのです。
毎回起こることが違う。
もし、瞑想していて
「今回はとっても集中できたぞ!〜な感覚だった」
と「いい瞑想」だったとすると、
無意識に次回も、そういう瞑想をしなきゃ、
そうでないと「失敗」「うまくいかなった」と
体験にラベルを貼ることになったりします。
つい、勝手に描いた理想像と「比較」して
しまうんです(これ私の体験ですので、
「私は違うよ」という方もいらっしゃる
かも知れませんね。)
そうした、無意識に「比較」していること
に気づき、一回一回の瞑想がかつてない
新鮮な体験なのだと知ることで、
楽に瞑想を重ねていく手助けにはなったら嬉しいです。
またお便りしますね。