こんにちは、龍全です。
将来の夢で、ずーと描き、目指しているのですが
NLPトレーナーという、
新たなものの観方、感じ方、
感性と可能性を開くプロセスをお手伝いして
いるなかで、
なるべくホワイトホードやプロジェクターを
使うのではなく、そこにいる方が自然に心が開くような
心地よい環境で
その場にあるもの、小枝やどんぐりなど、
その瞬間、必要なものを手にとって
やりとりをしたいと思っています。
自由を大切にしている私のNLPコースの
原型なのかも知れませんね。
今回ご紹介する高野山の大日如来(だいにちにょらい)
も自由な存在です。
細かく言うと、
別名は、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)といい・・・
と長々つづいてしまうところで、
私のような密教行者の端くれは思わず語ってしまうのですが
「曼荼羅の中心にいる仏さま」といった方が
一般的には通りがいいかも知れません。
個人的には、特定の人格神ではなく
「いのちの働き」のような
より一般的で、誰しもがアクセスしている
存在と感じています。
高野山の中心地で博物館のような役割を果たしている
霊宝館にも大日如来がいらっしゃいます(思わず敬語、笑)
霊宝館は、ステッカー、シール、ファイルなどの
お土産物も充実しているので
ときどき高野山でのワークショップ(マニアック)に
参加してくださった方をお連れします。
この霊宝館で大日如来について
あれこれ書いてある中、こんな言葉があります。
「大日如来は自然を使って説法する」
生き方を変えるかのような「説教イメージ」を仏さまに
持っている方もいらっしゃいますが、
木漏れ日の光
吹く風
小川の流れ
・
・
いかにも自然、というものに限らず
身の回りで普段、目にするもの
交わされる会話
そうしたすべての瞬間、自然に起こるもの、あるもので
大日如来は法を説くわけです。
そして、私たちは
どんな些細なことであっても
すべての瞬間から学び、気づくことができる
ということ。
わざわざ聖地に赴くのはなく
この現場が気づきの源で
日常生活に学びが溢れている
そのことを思い出させてくれる言葉だなぁ
と感じます。
この感性でNLPを学ぶといっそう深まり
すべてが機会となっていきます。
追伸
もし機会があったら、高野山では、5月と10月に
一般の方(特に密教に詳しくない)でも
参加できる結縁灌頂(けちえんかんじょう)
という縁結びの儀式があります。
1時間半くらいかかるのですが
感動的な素晴らしい儀式ですよ。
よかったら是非。