そもそも、いいことが見込めるから何かしらに取り組み始めるわけですが、NLPを学び始める前後からいっそう「なぜか、わからないけど始めてる」ことが増えていきます。
顕在意識が追いつくのは後で、とにかく走りはじめてる。
典型的なのが、以前よく「なぜ、私がNLPを学び始めたのかわからないです。でも、なんだかここにいます」とお聞きした話。
魂の目的などが明確になったときなど、
後から、だから学んでいたのか!とご本人様がしっくり来たりします。
私も高野山大学で(と言っても38歳のときに入学した大学です)
やたらと、般若心経の瞑想法ですとか語句の解説ですとか、意識せずに「般若心経」関連の授業が続いたときに「なんでだろう?」と不思議に思いっていたら、ダライ・ラマ法王の門前で般若心経を挙げる機会がやってきて、「このためか〜」とやけに腑に落ちたことを覚えています。
今年のゴールデンウィークにも
敬愛する先輩の瞑想教師のひろき先生と高野山でリトリートを開こうと思っているのですが、まだわからないけど、新たなフェーズといいますか、新たなチャレンジだなと感じるものがありまして。
これ、2022年に悲願が叶って、マインドフルネスNLP®のお仲間とともに「梵我一如」を垣間見れたことを受けているなあとは感じていたのです。
昨日今日でそのひろき先生を訪ね、ガッツリ長時間瞑想しながら、どんなチャレンジなのかを観ていたのですが、そこで出てきたのは
将来を描くのではなく、いまに全力を尽くす ということ。
とにかく今。
そのことで思いもしない今が開く。
理想の未来に導かれるのが好きすぎなのですが、それもいいけど^^
いま、この瞬間を 力の限りを振り絞って
力を尽くして、尽くして
ことにあたる。
しっくり来ました。
これ、楽しそう♪